「働き方」の「考え方」はたぶんずっと変わっていく

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らしくないことを言う回。

(この一週間、年度末飲み会ラッシュで更新できなかった)

 

3月で職場を離れた。

もともと「繋ぎ」の予定で入ったつもりだったが、すっかり染まってしまったというか、本当にあっという間だった。客観的に見てもとても貴重な経験だったし、(まだ分からないが)ここが人生のターニングポイントになり得るだろうと思っている。そんな職場だった。

 

 

ちょうど1年前・社会人1年目で入った職場は見事にハズレで、ようやく掴んだ社会人編のチャンスもあっけなく散ってしまった。当時は「あ、人生詰んだか?(笑)」という思いだったが、いつまでも鬱になっているわけにもいかない。生きるためには働かねばならぬ。

当然ながら卒業と同時に親からの仕送りも奨学金も無くなり、社会人になるということで意気揚々と引っ越したちょっと高めのアパートの家賃を払うには、お金はなんとかしなければならなかった。

出鼻を挫かれた私は、立ち直るには時間が必要だと感じていたし、なにより現役時代に散々な就職活動をしていた苦い思い出もあり、すぐにまた転職活動をバリバリやっていこうという気力は無かった。

 

そんな状態でふらっと辿り着いたのがこの職場であった。

最初からポスト契約(2018年3月末)ということ、事務職であること、福利厚生がしっかりしていることなど、「傷を癒やすには丁度良い」条件だったため、業界に興味があるとかやりたい仕事の応募だったからとかそんな理由ではなく、面接ではつらつらと身の上を語り、あくまで自分の適正を訴える形で採用して頂いた。今思えば何故受かったのか分からないが、寂しいことにこのとき面接を担当した二人も、この4月から異動となる。

 

(特定を避けるでもないが)深く業務内容や関連事業を書き綴ると本当に特定できてしまう特殊な組織なので割合する。しかしそうした特殊な組織に身を置いたことで気持ちをリフレッシュすることができたのは確かだろう。

幅広くあらゆる事業が展開していて、その中でフラットな人間たちが自分たちのやり方・得意分野でそれぞれ仕事をこなしている。内外問わず人と人との連携が第一で、一人でできる仕事はひとつもない。働く人間も様々で、これもまた勉強になった。

「働き方」や「人付き合い」は本当にその人その人の味が出るというか、性格や性別や年齢やそれまで携わってきた業種職種によって千差万別だ。さらにここではある程度の自由が保障され、裁量が広く、ノルマに縛られない。

「ああここはこんなにも働きやすい」 そう思った。

※ただ給与は低い。ポスト契約の自分だけでなくプロパーの職員も低い。そもそも業界全体が薄給である。

しかしここは時間に関して言えば環境は非常に良く、それは助かった。

 

 

また、先日高校の友人と食事をする機会があり、「結局働く上で重要なのは金か?時間(プライベート)か?」という究極の話題が上がった。

この問題は労働者の一生の問題であると言えるが、私が最近思うのは「まわりの人(環境)」であるということ。金でも時間でも無いじゃないか、と言われてしまいそうだが、こっそり答えを教えるならば「それは人それぞれ違う」でひとつの答えが出ないようになっているから仕方ない。

私が辞めた職場は給与はそれなりに良かったし、辞めない若手も確かにいた。拘束時間がいくら長かろうと仕事がつまらなかろうと給与が良ければそれでいい」人もいるということだ。逆に「生きるために必要なお金さえあれば残業なんて1秒もしたくない」という人だっている。ちなみに私はここへくるまで後者に近かった。それは拘束時間が長くつまらない仕事とつまらない人に囲まれた職場から逃げてきたからというのもあるだろう。

 

私の最近の”仕事観”は、「優れたトップの上司と、ストレスの無い人間関係のなかで働くことができれば、時間もお金もある程度妥協できる」ということ。

優れた上司というのは本当に偉大かつ貴重である。優れた上司は仕事の面白さを教えてくれる。上から指示を出すだけではなく、下に自由にやらせた上でサポートに回る。部下の相談をよく聞く。大事な決定を速やかに下す。常に新しい意見や新しい価値観に耳を傾ける。言葉にできないカリスマ性が確かにある。(本当にある)

ストレスの無い人間関係の構築は難しいが、これができれば気を遣って仕事が滞ることが無くなる。これは日本人の悪い癖だと思うが、職場において気遣いで気疲れることが本当に多いのではないだろうか。ある程度空気を読むことは大事だが、読みすぎて動けなくなっていては元も子もない。お互いが言いたいことを言い合い、話し合えればロスは減る。遠慮なく他人の仕事のやり方から盗むこともできる。性格が真逆でも同じ仕事はできるし、そこで埋め合わせることができる。隠し事や競争のマイナス意識(蹴り落とす、陥れる)が溢れていては不信感からまわりと上手く仕事をすることはできなくなる。

そしてそうした環境ではまず「仕事=いやなもの」という意識が限りなくゼロに近くなる。確かに朝眠い目をこすり身支度をして出社するまでは働くのは面倒くさいしずっと家で寝ていたいとも思うが、いざ取り掛かった時のモチベーションが下がらない。仕事そのもののモチベーションが下がらなければ、達成感や開放感や褒められたときの嬉しさ、またはプライベートの楽しみなどその他のプラスアルファでプラスにもっていけるのではないか。

誤解しないで欲しいのは、誰だって短い時間で高い給料が欲しいと思っているしそれは私も分かっている。ただ、どうしても生きていく上で働くということが必須であるならば、仕事を嫌なものにしないためにも、環境こそが大事なのではないかということを、最近はふわふわ考えているのだ。

 

しかし社会はそう甘くはないので、そうした環境を自分ひとりの努力で整えられるのかと言うとそうではない。こればっかりは、組織についてそれなりのアタリ・ハズレになってくると思う。そして今回はたまたまアタリだっただけだろう。

そのたまたまのアタリが、たまたまだっただけに、離れるのが惜しい。正直に言えば3年後でも5年後でも10年後でも、またここに戻って仕事をしたいと思った。

1年弱、正確には9ヶ月間の短い期間だったが、本当に良い体験をしたと思っている。

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さてさてハズレとアタリの両方を経験したことで、仕事に対する価値観がだいぶ柔らかくなってきた。世の中にはこんな職場やあんな職場、こんな人やあんな人がいる。それを知ることができた今、あえて「寄り道して良かったかも」とちょっと思うことができる。そう思うことができるようになったことが自分にとっては真のプラスになって欲しいと願っている。直感だが、おそらく私は一つの仕事を10年続けることができないタイプだ。この寄り道経験は、今後の人生に役立ちそうな気は微かにしている。

 

稀有な社会人1年目が終わり、2年目に入る。実質3つ目の次なる職場は果たしてアタリかハズレか。

書き忘れていたが次の職場も、今の職場と同じ業界である。興味はまったく無かったのにこの影響されやすさ…いや、それほどまでに仕事が楽しいと思わせてくれた環境だったのだ。

 

流石にもう寄り道しすぎているので、ハズレでもハズレなりにやっていくしかないのだが…。

(ここでRoundabout/Yesが流れる)

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